photo office overhaul   大塚 紘雅

Tommy(トミー)

2013年02月21日 14:09

     オーナーズ・インタビュー

コンセプト


誰でも写真を撮れるこの時代に必要とされること
それは心を写すということ
技術でもなくセンスでもなく
それは目に見えない物を写すということ
シャッターは魂で切ることを常に心がけて



僕よりもうまいカメラマンさんはおそらく山ほどいます (笑)
でもぼくがぼくらしく写真を撮ることで
ぼくの存在は生かされると思うんです
言葉にするのは難しいですけど
ぼくの撮影スタイルって理論っていうよりも感情で撮影する感じなんです
写真に感情を込めたいから
その分、撮影のときはすごいテンションになるんですよね
最近はそれをコントロールしてみてるんですけど
やっぱりアガってるときのほうがはるかにいい写真が撮れるんですね
感情があがると動きがさらに速くなります (笑)




成り立ち


うちの父がアマチュア写真家でですね
よくコンテストとかに入賞するような人だったんですけど
当時、モノクロの現像とかも家でやっててですね
その途中でドアを開けたりしてよくおこられてました
それとか、父が入賞したから家族みんなで展示を見に行こうって
いってみたらヌード撮影会とかの写真なんですよ
何やってんだと (笑)
そんなこんなで写真に対してあまりいいイメージがなくって
ずっと嫌いでしたねー
だから進路に写真なんて思いもしなかったですね



だから普通の大学に進学したんですけど
大学の下宿先のそばに骨董屋さんがあって
新し物好きっていうか、新しい物が正義みたいな
価値観の家庭に育ちましたから
斬新な訳ですよ
古ければ古い方が価値があるという考え方が
で、そういえばうちにも使ってない古いカメラがあったよなと
そう思って実家から持ってかえって鑑定してもらう訳なんですが
これが全く価値のないカメラでした (笑)
でも骨董屋さんの鑑定でわかったんですけど、
父のカメラ、1976年の7月発売っていうじゃないですか
ぼくは生まれが8月なんですよ
どう考えても僕を撮るためという大義名分で母を
納得させて買ったに決まってるんですよね
そんなカメラが僕が初めて使った一眼レフです
ところが使い方なんて知りませんから
最初の一本目なんて何も写ってなかった
当たり前なんですけどね、悔しいじゃないですか
で、そのときぼんやりと思ったんですよねー
ああ、今までいろんな趣味をやったけど
これは多分一生の趣味として続けるなあと
そのときは仕事にするなんて思いもしませんでしたけど



それから趣味で独学で写真をやってたんですが
縁あってプロ専門のプリント職人さんと知り合いになって
写真やプリントの技術を教えてもらってるうちに
のぼせ上がってしまって (笑)
自分はうまいと勘違いして
職人さんの反対を押し切って
会社辞めてプロを目指して町の写真館に弟子入りしました



そこで三年働いてようやく認められかけたときに
ちょうど30になる年の瀬でしたね
今まで自由にさせてくれていた父から
お前はいつまで修行中なんだ?と
いわれ、トンカチで頭たたかれたような気分でしたね
僕にはああしろこうしろとかいう強制は今まで一度もいったことない
父からいわれた一言でしたので
衝撃でした
そこで父と約束したのは
とにかく一年時間をくれと、一年やって結果が出なければ
(具体的な数字は伏せておきます)
そのときは写真はあきらめてチョコレート工場で働くからと (笑) 
僕が頼れるお客さんは一人しかいないのに
一年で数字をあげないといけないので
会う人あう人に猛アピールでしたね
そんなことしてたらちょうどいい広さのアパートをスタジオに借りてみない?
って話がありまして
そのとき敷金なしの85000円の家賃を提示されましたけど
僕は当時貯金もないし収入もゼロですから
払える訳がない訳ですよ
でも借りちゃったんです
貯金がたまるのを待ってる時間はない訳ですから
そのアパートを攻めの姿勢で借りたのが
結果としてはよかったんだと思います
紹介してくれた人も、僕が家賃滞納すると自分の顔も立ちませんので
どんどんお客さんを紹介してくれたんです
ホントにこのアパートを借りててよかったなと思いますね
借りてなかったら僕は今、写真屋をやってないと思います
その一年間は、誓いを忘れないように首から
チョコレートのネックレス下げてましたもんね



カリスマというか、特別なカメラマンとしてとらえられることもありますが?
そんな遠い存在ではいたくなくて
ちょっと写真がうまいお兄ちゃんが
今日写真撮ってくれるってよ
くらいの存在のままでいたいですね
常に<在野>でありたいなと
地位とか名誉もそれはうれしいですし
独立したての頃は、ただの写真好きのサラリーマン出身の兄ちゃんが
どこまでノシ上がれるか?ってことも楽しみではあったのですが
最近はそれよりも、物事の大小よりも
身近な存在に何を残せたか
これにつきますね
もっと大きな仕事を求めて東京にいこうかと
思った時期もありましたが、いまは東京は出張で十分だと思います
それよりも、身近な商店とか地域の特産品を
どう魅力的に見せるのかに尽力したいです
これからは本当に地方発信の時代かもですね
思ってる以上に東京から疎開してきてるクリエーターの方多いですしね
誰でもいいからカメラマンいない?って仕事よりも
求めてくれてる人のために写真を撮りたいですね
だから僕はカメラマンっていうよりも
写真屋っていう存在でいたいんですよね
カタカナってなんだかカッコつけてるような気がして
でも写真家っていうのは恐れ多い
この違いわかりづらいかもしれませんけど
カメラマンって、その人の個性とかって認められてない感じがします
職業カメラマンっていうんですか
いわれた物を指示通り撮る感じですかね
反対に写真家って作品自体を気に入ってもらって
好きに表現できる人ですかね、作家さんっていうとわかりやすいですかね
写真屋ってその中間ですかね
自分らしく表現しながらも独りよがりにならない、
自分のためではなく、その人の求めている物を表現する
そんな存在でいたいですね
ぼくが写真屋っていうようになったのも
社会人なりたてのときに髪を切ってもらってた人が
美容業会の生きる伝説みたいな、すごい人だったらしいんですけど
自分のことをパーマ屋っていうんですね
そういうのってかっこいいなあって
同じく庶民派レストランの方も、自分のことを定食屋っていうんですね
自分がのぼせないための戒めでもあります


これからの目標は?




独立当初三年でスタジオ作るってのがあったのですけど
これも達成しましたし
ホント目標って大事ですよね
ただ東北の地震の前に
東京にいってみたいなって高まってた時期だったんですけど
映像を見て
なんていうんですか
しばらくは気力を失いましたね
とにかく自粛ムードでしたし
ブログとかもその辺りで何もかけなくなっちゃって
ミュージシャンとかもそういう人多かったと思うんですけど
方向性を失いかけました



でもそこで学んだのって
資本主義的な成長ってなにも、拡大することだけを言うんじゃなくて
内側に充実するのも成長なんじゃないかなって思うんです
今独立して7年になりますけど
やはり10年やれてないので
この部分に関しては、あまり多くは語れる資格はないと思うんですけど
これからは生み出すエネルギーっていうよりも
クリエイティブなモチベーションをどう維持していくかって
エネルギーだと思うんですね
これが大変なエネルギーが必要ですね
60.70代で現役でがんばってる人を見るとすごいなあと思うんですよね
ぼくは星の王子様的な価値観が好きなので
数字っていうか目に見えない価値観がどう成長していくかっていうところが
今後の目標ですね





Profile
生年月日    1976・8・24
血液型       A
十二支      辰年
星座        おとめ座

Address     中央区平和3-2-16
Tel        092-791-9888
Homepage  http://www.overhaul.jp/




 
 

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